一心日記

愛媛・松山にある整体 一心庵の日記です。日々の事、身体の事いろいろと書いてます。

誤解してましたね。

このところいろいろと忙しくしておりました。

仕事の方も忙しいのですが
それとは別に従兄弟の子が叔母さんと遊びに来てたんですよね。

その関係で甥っ子、姪っ子たちもうちに遊びに来て
保育園状態でした・・・

子供たちの相手は疲れます。

っていう僕は仕事の合間だけ付き合っただけなので
それほどでもなかったんだけどお袋や叔母さんはかなり大変だったと思いますね。

それでも高校野球の決勝は子供たち連れて見に行ったんですよね。
そのせいで顔や腕はかなり赤く焼けております。
ほとんど外に出ることがないので紫外線弱い体質になっているようです。

そんなこんながあったためブログの更新も遅れましたが
少し前に書いた歎異抄を読み終えたので感想を少しお話しますね。

っていうかこのところ施術に来られた方にもついついこういう話をしてしまって
おもいっきり宗教にはまってるやつになってしまっております。
変な宗教に入ってるわけではありませんのでご心配なく!

今日も施術中に歎異抄の話を少ししてたんですが
興味のない人に無理に説明してもダメですようね・・・
生返事が帰って来てました。僕のいつものパターンです。
空気読まずに話をしてしまうことがあるんですよね。ダメですね。

それはさておき歎異抄の話。

僕は以前から宗教で納得のいかないことがありました。
それは手を合わせて南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土にいけるって事です。
ようは信仰すれば極楽浄土に行け、そうじゃないと地獄にいくなんて言うと
まるで少し前までテレビに出ていた有名な占い師のようじゃないですか。
まー、人の弱みに付け込んでいるようで
しかも、人の心理を逆手にとって信者を増やしているように思えてならなかったんですよね。

だけど、歎異抄を読んで少し僕の中での誤解が解けました。
ようはただ拝んでもいけないようです。
ちゃんと信心できないといけないようです。

ただ、あいまいな言葉が間違って僕のような誤解を読んで伝わってしまったため
そういう解釈をされてることが多いようなんですよね。
その為の歎異抄のようです。
このところネットでもいろいろと調べているんだけど
そんな中にもやっぱり僕が思ってたように書いてる人が数人いましたね。

歎異抄を読んで最大の収穫はそれでしたね。

ちなみに南無阿弥陀仏とは阿弥陀様に帰依しますって意味のようです。

浄土真宗の仏様はこの阿弥陀如来なようです。
曹洞宗臨済宗は釈迦如来真言宗大日如来だとか。
同じ仏教なのにどうして違うの??
仏教はお釈迦様によって伝えられたものなのに
どうして阿弥陀如来とか大日如来とかあるんでしょうね?
よう分かりません・・・仏教にはなぞが多いです。

ネットで調べていると
お釈迦様が釈迦族の王子でゴータマ・シッダルタという人間だったのは知っていたけど
阿弥陀様も人間だったようですね。アミターユスっていうらしいです。

お釈迦様は紀元前の人だけど阿弥陀様は紀元後の人でキリスト教の影響を受けている
なんて書いてるネットの記事を読みました。
本当なのかな??

だけど、お寺の住職さんも言われてたけど歎異抄だったかな??
世界的にも認められてる受け入れられてる書物のように言われてましたね。
キリスト教の人にも納得できる考えって事のようでした。

謎が謎を呼び妙な関連性も発見されて僕の頭の中はぐちゃぐちゃですね。

最後に阿弥陀如来浄土真宗にまつわる事で誰もが知ってる言葉を紹介しますね。

十八番(オハコ)
これは浄土教において四十八願あるうちの第十八願を本願として
一番重要視したことから一番得意なこととして現在でも使われているようです。
ちなみに第十八願とは
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。 」
というものです。

他力本願
今ではあまりいい意味では使われませんよね。
人任せ的で・・・他人のふんどしで相撲をとるような感じですよね。
真意は難しいのでサイトを探したので読んでみてください。
ってな感じです。

ためになりました??