一心日記

愛媛・松山にある整体 一心庵の日記です。日々の事、身体の事いろいろと書いてます。

ボランティア 布施 暴走

週末から24時間テレビが始まります。

 

ジャニーズを使う事に反感を持っている人が24時間テレビも批判していて、それって

どうなんだろう?って思いながら読んでいました。

 

実はこの24時間テレビ批判はここ数年よく見かける傾向にあります。

それについて過去にも書いたのですが同じことの繰り返しにはなりますがちょっと

書いていこうと思います。

 

24時間テレビに僕自身は思い入れがなく批判をしている人に対して嫌悪感を感じる事は

ないのですがただそれってどうなの?っていうのもあるのです。

 

つまらないからやめろっていうのは個人の感想だからそれはそれでいいと思うのですが

一番多く言われているボランティアなのに利益を上げているとか賃金が発生している

っていうところに引っかかってしまうのです。

 

ジャニーズのイメージアップの為にやっているとかジャニーズはボランティアで

やるべきとかそういうのって違うって思うのです。

 

ボランティアの悪い所ですよ。

ボランティアだから利益を上げてはいけないとか無償で活動しないといけないっていう

縛りがあるとやる人も減るでしょう、参加する人も減るでしょうって感じになると

せっかくの慈善活動の継続が難しくなると思うのです。

 

もしそこで上げたボランティアの収益をポケットにないないしたってなるとそれは

ちょっとダメでしょうってなるし、Colabo問題のように補助金詐欺のような事は

ダメだと思います。

 

だけどボランティア活動で賃金を発生させたり、収益を上げたりすること自体を悪と

してしまうと継続的な活動やらより多くの活動が出来にくくなるのです。

 

24時間テレビで集まった募金を文句を言っている人が集めることが出来るのだろうか

って考えるときっと無理な人がほとんどじゃないのかって思うのです。

 

文句を言うなら代案を出せってよく最近の政治の世界では言いますがこの事でも

それだけ辞めろとか不健全とかいう人がいるけど、それをやめさせて誰が得をするのか

って考えると誰も得をしないどころかそれによって助けられていた人が助けられなく

なるって事なのです。

 

訳の分からない正義の為に助かっていた人が助からなくなるってその発言に本当に

責任を持てるのかって思いますけどね。

 

SNSでは自由に発言を出来るから適当な事を言っているのでしょうがそういう事を

本気で思っている人が多い事が本当に悲しいと思うのです。

 

前回も書いたけど僕も以前ソーシャルビジネスについて真剣に考えていた時期がある

のですがその為に経産省主催のセミナーを受けるべく東京へ行く予定にしていた

のですがなんとセミナーの前々日に東日本大震災が起きて中止になったのです。

 

ソーシャルビジネスを考えるきっかけになったのが来院の方から紹介されたとある

ボランティア活動をされている団体、僕もそこへ少しですが寄付をさせてもらって

いました。

 

その団体を設立されたのが当時、女子大生だった人なのです。

その団体は収益を上げ、その中で働く人には賃金を支払い、ボランティア活動でも

仕事を作り雇用を作り教育にも力を入れるって感じで合理的にされていて素晴らしい

活動をされていたのですがそれに対していちゃもんをつけていたのが旧来型の

ボランティアをされている団体の方々。

 

ボランティアは収益を上げてはいけない、賃金を払ってはいけない・・・って。

彼女たちの活動を邪道の様に断罪したようなのです。

 

だけどその断罪した団体は補助金頼みでその補助金が政策上廃止されれば活動が

出来なくなるという自立できない団体でまた活動している人達も無償でやっているため

継続的に活動できる人は少なくボランティア団体としての活動が制限されるって感じに

なってしまうのです。

 

高い精神はいいのですが目的を達成出来ないというお粗末な結果だったりします。

 

その高い精神を崩して目的を達成させる方がより崇高だと僕は思いますけどね。

 

 

最近、よく書いている人、小野龍光さん、もとIT企業のCEOをされていた人なのですが

インド旅行で知り合った佐々井上人というインド仏教の頂点に立つ人に出会い、突然

出家して今、四国八十八ヵ所の歩き遍路をされているのです。

 

ちょうど今松山にいるんですよね。

城山のロープウェイ街にあるアウトドアショップのところにいるらしいです。

お友達のお店らしくそこに誰でも来ても良いように書いていました。

 

会いに行った人結構いるのかな・・・僕は行けなかったので残念ですが。

実は僕も彼に連絡をして「宿泊と晩御飯の接待」をさせてもらえないかとメールを

したのですが松山には友達も多いらしく、また僕よりも前に多くの人から接待の依頼が

来ているらしくちょっと難しいかもってお返事でした。

 

だけど一応、どの辺にお住まいかと尋ねて頂いたのでお返事をして誰かのキャンセル

待ちって状態なのかもしれませんがご縁があるかもしれないのでドキドキして今の所

まっている最中です。

 

そんな中龍光さんのXにコメントをされている方が。

 

内容は龍光さんは有名人で多くの接待を受けているようですが一般人の人で何の接待も

なくお遍路をされている人が多い事を考えるとモヤモヤします。

っていう内容でした。

 

僕はこれを読んでモヤモヤしてしまいました。

 

実はこの方は仏教の事をよく知らないのだと思うのです。お接待の事をよく知らないの

だと思うのです。

 

お接待ってのはこちらがするのではなく、させてもらっているのです。

お接待はお布施と同じです。

 

托鉢のお坊さんがいるじゃないですかそのお坊さんにお米とか渡したりしますよね。

あれってお坊さんの修行でもあるのですがそれだけじゃないんですよ。

在家の僕達も修行させてもらっているのです。

 

仏教には六波羅蜜という六つの修行方法があります。

その中に布施があるのです。

 

そういう事なのです。

 

なのでこの方のモヤモヤは本来は龍光さんへ向けるものではなく、そのモヤモヤは

僕達の様に龍光さんという人に会いたいという思いから来るお布施に対してのもので

あって僕達へ向けるべきなのだと思います。

 

そう考えると僕がその他のお遍路さんへ何かお接待をしたかというとした事がないので

彼のモヤモヤが的中しているって事になると思います。

またお遍路さんだからするのかって事になるとそれも違うのです。

 

困っている人がいたら誰彼構わずする事こそが本来のお布施なのでしょう。

 

実はそんな人がいるんですよ。

ビックリします。この人は生き神様だなって人が。とっても立派ですがそこまでは

なかなか真似は出来ませんが僕も最近は少しずつですがそういう行為が出来るように

なって来てはいます。

 

見知らぬ困っている人にちょっと手助けをしたり。

 

話しはまた戻りますがさて龍光さんにお接待をしたいという気持ちはダメなのかと

いうと僕はそれも違うと思うのです。

これをきっかけにすると良いと思うのです。

 

その機会を龍光さんに与えてもらっていると思う事が肝心かと。

それを否定するのではなく、機会を与えてもらっていると考えるとこの方もきっと

そのモヤモヤが解消されるのではって思ったりするのですが。

 

ただこの方の文章の最後にこれだけの否定的な文章の最後に「批判ではありません。

それどころか尊敬しています。」って書いてあったのです。

 

この文章を読んでちょっと残念だなって思ってしまいました。

 

少し前にたこ焼き屋さんに汗水流して働くのはプロとしては失格だ、プロなら汗を

かかずにたこ焼きを焼けって。これは誹謗中傷じゃありません。

 

って書いていた人がいてアベプラにそのたこ焼き屋さんが出演していて冒頭一発目に

「これは誹謗中傷です。誹謗中傷じゃないって書いたら誹謗中傷にならないって事には

なりません。」って言ったのです。

それに似ているなって思ったのです。

 

モヤモヤは正直な感想として良いと思うのですが最後の文章に僕はモヤモヤして

しまってかなり悲しくなりました。

 

 

僕は龍光さんには少し期待しているのです。

今の日本の間違った仏教を正してほしいって思いです。

 

葬式仏教という変な免罪符を持った仏教から本来の仏教へ戻ってほしいのです。

 

ちょうど今が変革の時でもあると思うのです。

葬式仏教も正直な所もう終わりが近いです。葬式やお墓への簡略化が進んでいて

そこへあまりお金をかけない人が増えています。

 

僕達世代なんて戒名なんてどうでも良いって人も結構多いし、そんな嘘のような話を

現実的な現代の人が高いお金を払って戒名なんて欲しがるかな?って。

 

高い院号をつけるとあの世で位があがるなんて免罪符以外の何物でもないでしょう。

 

それにしてもキリスト教も仏教も悪知恵は同じような事を考えるとは所詮人間って

同じような生き物なんでしょうね。

 

そして最近では統一教会のような新興宗教に騙され多くのお金を搾取された人が多く

出ている状況にその原因の一端に仏教が人を救ってない事を挙げる人がいます。

僕もその一人ではあるのですが。

 

昔は駆け込み寺と言われ困った人は何かとお寺に相談に行ったりいろんな事でお寺に

お世話になったりしていたのですが今のお寺は敷居が高く、お葬式や法事以外では

お寺に行く機会なんてないって人がほとんどじゃないでしょうか。

 

もっと気軽に行けていろんなことを相談できるお寺であってほしいし、またそういう

住職であってほしいって思うのです。

 

だけど僕はまた現代のお寺の現状を考えるとどんどん経営という意味では難しくなって

いる現状もあると思うので利益を上げる事もアリだと思っています。

 

そこでソーシャルビジネスですよ。って思うわけです。

利益を上げつつ、人を助けるお寺っていうのが今後のお寺のビジネスモデルになる

って思うのです。そういうお寺が今後生き残るお寺じゃないかと。

 

ヨガ教室をやったり、お悩み相談をやったり、精進料理を食べれたり、カフェを

やったりといろんな事が考えらえると思うのです。

 

そこを呼び水として仏教の布教をすればいいのじゃないかと。

それが現代にある仏教の姿かなって思うのです。

そしてそれが出来るのが龍光さんじゃないかって思うのですけどね。

 

そして何処かのお寺がそういう事に乗り出す事を願うばかりです。

 

 

高校野球も終了しました。

 

いつもなのですが高校野球ってプロ野球とは違った面白さがあるのですがあの独特な

感じで違和感を覚える事も多々あり、今回も熱狂した分、残念な大会となってしまった

感じがあります。

 

それを扇動したのがマスコミであるとも言えます。

それでもまだマスコミは報道をやめないという自浄能力のなさを反省のなさを示した

テレビの阿保さ加減が出たなって思ってしました。

 

何に怒っているかというとあの応援ですよ。最悪でしたね。

あれは高校野球でやったらダメでしょう。マナーもなってないし。

 

にわかのマナーなしと言えば昔、石川遼君がブームになった時におばちゃん達が挙って

ゴルフの試合を観に行っていたのですがマナーが悪く、ゴルフの試合では神経を集中

しないといけないためマナーが厳しいのですがボールを打つ瞬間に喋ったり、写真を

撮ったりって事で問題になった事がありました。

 

我らがカープではカープ女子ブームで一挙ににわかファンが増え、それで神宮球場

ヤクルトファンに大迷惑をかけた事があるのです。

 

本来、ライトスタンドはヤクルトファンの応援席なのですが何故だかカープファンが

神宮球場へ大挙して押し寄せるようになってレフトスタンドだけでは収まりきらず

ライトスタンド側までカープユニを着て応援している始末だったのです。

 

それにヤクルトファンが激怒するって事件があったんですよね。

さすがにそれはないなーって思ったりしたのですが。

 

盛り上がるのは良いけど、良識をもって盛り上がらないとこういう批判に繋がります。

慶応が優勝した事、それがかなり久しぶりの事でお祝いムードで万々歳で終われるはず

なのに一部の暴走したファンにより艶消しになってしまう事は本当に残念な話だって

事なのです。

 

仙台育英も可哀そうだけど、何の罪もない慶応の選手たちも可哀そうですよね。

 

応援するらな応援になるような応援をしろよって思うのです。

あれでは邪魔をしているだけなのです。

 

綺麗な景色を観に行って「うわ~」って感動しながらごみをそこへ捨てて帰る観光客と

同じ行為なわけです。あれも本当に意味が分かりませんよね。

 

我を忘れてっていうけど、そういう時こそその人の本性が出るのです。

本能で動くと理性が失われ、人によっては暴走してしまうのです。

 

あとは良識の問題もあるのでしょう。

ごみのポイ捨てなんてそういう類ですもんね。

 

綺麗な景色の裏にはそれ維持するために頑張っている人がいるからなのです。

そこへももう少し思いをはせる事が出来ればそういう行動も変わってくるのかな?

 

どんどん利他の考えが失われている現状の日本人。

利己が悪いわけじゃないけど、日本人の利己は悪い利己の事が多いように思います。

良い部分が失われ、悪い部分を取り入れるってもう終わっていますよね・・・

どうしてこうなった日本人。