一心日記

愛媛・松山にある整体 一心庵の日記です。日々の事、身体の事いろいろと書いてます。

掌返し 予測 構文

掌返しって言葉がありますが本当に無責任にあれこれいうのは僕達の様な素人だけ

しないといけませんよね。

 

それが専門家を名乗る人たちが適当な事を言っておいて後になって自分達が間違って

いた事を認めるわけでもないのに自分達が言った事を棚に上げて自分達が言った

尻ぬぐいもせずにまた違う方向であれこれ言っているのです。

 

もうなんなんだろうって感じがします。

 

ってなんの話かっていうと自動車のEVです。

 

日本の自動車メーカーがEV化に力を入れてなくて海外に後れを取っているって言われて

もう10年以上も経ちます。

 

そして時代がやっぱりハイブリッドだっていうと掌を返したように日本のメーカーは

正しかったと言っていたのにここ昨今はまた世界がEVに完全にシフトしたのに日本の

メーカーは遅れていると言われていました。

 

それがここに来てEVの弱点みたいなのが言われてEVシフトした国からまたハイブリット

回帰が出ている事でまたもや日本メーカーは正しかったって言われています。

 

外野で言うだけの専門家は楽ちんでいいよなって感じがしますよ。

僕達のと何ら変わりがないのですから。

無責任に適当な事を言っていればいいのだから。

 

何にも生み出さない記事が何をか生み出そうとしている芽を摘もうとしているのだから

本当にこういうのって淘汰されるべきなんだろうって思ってしまいます。

 

だけど自動車産業は本当に変革の時が来ているって思いますよ。

自動車メーカーが方向性を誤るって事は当然あると思うのです。

どちらが正解かなんて分からないのだから。

 

それでも全個体電池が出来るようになる数年後には本格的なEVシフトも始まって来る

って思っています。

そして近い将来ではエネルギー革命も起きてくると思います。

それはやっぱり核融合でしょう。これも出来る出来ないって今も言っていますが

出来ないじゃなく机上の空論じゃなくなったこの技術はきっと出来ると僕は思っている

って感じなわけですがそうなるともう車にガソリンはいらなくなるでしょう。

 

そうなったらハイブリッドでもなくEV一択になるんじゃないかって思います。

そうなる将来を見据えても車って再々買うものでもないので買う時期をどの時期に

すると良いのかを考えて今どの時期に車を買うかって大事になって来るって思います。

 

たぶん次期は10年ぐらいで大きな変革が定着するって感じだと思うのでそれに

合わせて10年ぐらい車を乗る人ならそろそろ車の購入を考えても良いって思います。

 

とりあえず数年後に全個体電池の自動車をトヨタが出すと言っているのでそのぐらい

から徐々にEV化も進んでくるのでしょうが全個体電池は価格が非常に高いためまだ

元が取れないって感じで新しもの好きのお金持ちの商品って感じで進んでいくと思い

ますが次第に価格も低下していくでしょう。

 

また電池に必要な資源もいろんな国で採掘されているようなのであの国に依存する事も

減ってくるかもしれません。そうなるとより買いやすくなるって感じでしょうね。

 

それを見越してもやっぱり10年後ぐらいに新しい車を買うっていうのがやっぱり車を

買うのに適している時期になってくるように僕は思うのです。

 

それに合わせて近いうちに車を購入予定の人は考えると良いのではないかって思ったり

しています。

 

 

激変の世の中の一番は生成AIでしょう。

 

だけど消滅職業って言われていた士業も生き残れるのだとか。

それも生成AIが登場する前の予想とその後の予想でちょっと様相が違ってきているって

感じになっているようなのです。

 

生成AIが登場する前にはホワイトカラー革命と言われ知識の世界のが淘汰されるからと

あれこれ消滅するって言われていたのだけど、実際に登場するとそれをうまく扱える側

と生成AIすら到達がまだ難しい世界ではまだ難しいと言われるようになったようです。

 

それは知識+α的な所が必要な分野ではやっぱり難しいってなるようです。

 

逆に肉体労働は難しいって感じではあったのですがその分野にも生成AIは入ってくる

ようでその分野でも淘汰はあるようです。

また研究者も淘汰されるのだとか・・・

 

研究者が淘汰されてしまうともう人間には理解が難しいって感じになるのかもです。

だけどそれでも残る人もいます。

それを扱う人が要りますからね。そこに人間というバイアスをかけないとなかなか信頼

が得られないって感じだと思うから。

 

それも信頼を勝ち得てAIが独自の進化を遂げてしまうと大変恐ろしい事になりかねない

って事が映画でもよくやっている感じになる可能性もありますよね。

 

今、甥っ子に勉強を教えているのですが正直なところそれもどうなんだろうって

思ったりもしているのです。

 

知識や勉強がどのぐらい必要なのかっていうのもこの生成AI時代には必要ないのじゃ

ないかって話も出ているのです。

 

今は主に歴史を教えているのですがこれこそ知識の問題だからもう必要なって感じも

あるのですが僕は歴史を習う価値には人間が歩んできた過程があるのだからそこは

一つの人間学だろうって考えると教える意味はあるのかなって思ったりしています。

 

だから僕が子供の頃に覚えた歴史の詰め込み教育的な学習ではなくちゃんと歴史の

あり様を教えています。なので凄く時間がかかるのです。

 

今は日露戦争の所だったのでどうして戦争になったのかどうして日英同盟が結ばれた

のかと結構深堀して教えているのです。

本当はこういう所が必要なんだろうって思うのです。歴史を学ぶっていうのは。

僕が子供の頃はそんな事は知らずに単に1902年日英同盟とだけ覚えた記憶があり

それで点は取れていたのです。

 

ここはどうして同盟が結ばれたのか特にイギリス側がどうして小国の日本と同盟を

結んだのかって所が重要だと思うのです。

イギリスにはイギリスの利点があったのだから。じゃないと同盟なんて結びません。

 

こういうのは今後の人間関係や処世術的にも役には立つと思うのです。

そしてこういう所がAIが苦手な所であってこういう所を伸ばしていく事で生成AI時代に

生き残れる人間に育てたいなんて思ったりするのです。

 

そしてやっぱり重要なのは言葉でしょう。

 

先日、車を走らせている時にラジオから生成AIの話を専門家に聞くってのをやっていて

その中でも言っていましたがこういう技術的な理系的な分野なので理数系の知識が

優位になるって感じがするのですがこの生成AIはプロンプトと言って言葉で命令をする

ので言葉が重要になって来るのです。

 

そしてその言葉を巧みに使って子供にも分かるように説明できる事が細部にわたって

しっかり説明できる事が大事になって来るのです。

 

そう考えると文系の力が必要になって来るって感じですよね。

やっぱり本とか読ませた方が良いのかな??なんて思ったりもするのです。

後はやっぱりコミュニケーション能力でしょうね。

 

ちょっと言葉足らずな甥っ子。そこは心配なんです。

 

3年後、5年後、10年後で様変わりをしてくる時代です。

僕達も既に巻き込まれる事は確定的なのです。子供世代の話ではなく僕達もこの時代を

生き抜くためにも新しいスキルを身に着け新しい時代の波に乗っていかないといけない

のだと思うのです。

 

 

おばさん構文。

 

最後に付けた「。」がどうも若い世代には恐怖に感じるのだとか。

やたらと句読点をつけるのがおばさん構文らしいです。

ちょっと前にはおじさん構文と揶揄されやたらと絵文字を使うって否定的に言われて

凄く笑ってしまったのですが・・・僕がまさにおじさん構文だから。

 

インスタやラインとかでかなりやっています。

そう言われても直しませんよ。おじさんなのだからおじさん構文でいいでしょう。

って僕は思っているわけです。

 

勝手に僕的にこのおじさん構文やらおばさん構文を若者視点になり切って解釈をして

みるとこれは若者の自分達のテリトリーに入ってくるおじさん、おばさんを排除したい

って気持ちの表れなんじゃないかって思うのです。

 

ちょっと前に今の若者はラインは使わない、その代わりにインスタでやり取りをして

いるって言われていました。そして少し前にはそのインスタも今の若者は使わないって

言われて違うものに移っているらしいのです。

 

その原因に親達が自分達が使っているツールに入ってくる事を嫌い逃げていっている

って事の様なのです。

 

まー、ある時から自分の部屋には入らないでって感じになるのと同じじゃないかな。

 

その自分達のツールに入って来た異物を追い払うって感じの事が〇〇構文って感じで

言っているのじゃないかって思うのが僕の考察です。

 

じゃー、おじさん視点から物を言わせてもらうと別に使っていいだろうって感じ。

嫌ならどっか行けよって感じですよ。

おじさんだからおじさんらしくやっていますよって感じなのですが。

 

別に絵文字を使って若者受けを狙っているっていうよりかはある機能は使ってみたい

ってだけなのです。

なのでおじさん構文って揶揄されているのを知った後でも全然やめません。

 

それを見つけて若い人にもし「うわ~、おじさん構文じゃん」って言われたら

別におじさんですから。って居直りますね。

っていうか僕を見て若者に見えるの?って感じですよ。

ピッタリでしょうって感じなのですが。

 

逆に若者に寄せ過ぎる方が怖いでしょう。

別に絵文字を使う事が若者に寄せているって思うのならそれは若者の自意識過剰だぞ

って僕は思ってしまいます。

 

鬼滅以降この歳になってアニメも見ていますが別に若者に寄せる為に見ているわけ

じゃなく面白いから見ているだけだぞって言いたいですよ。

 

逆に若者がめんどくさいおじさんって思っているように僕はそういう若者の方が

めんどくさい若者だなって思いますけどね。

若者全般じゃなくそういう事を言う若者ってしょうもない奴が多いって思いますよ。

 

おっさんは正直そう居直れる人がいるとは思うのですがおばさんは敏感に反応して

しまいそうです。

周りよりも本人や女性同士の方が美意識や若さに敏感だと思うから。

 

おじさんはおじさんって言われても平気だけど、女性におばさんは禁物ですからね。

 

でも自分が若い頃に思っていたのはおじさんでもよい年の取り方をしている人は

老けているっていうよりも良い年の取り方をしていてかっこよく見えました。

逆に妙に若作りをして派手になり過ぎてう~~んってファッションをしている人なんか

みていると「俺若いだろう」って言われて内心微妙な感じになったのを記憶していて

あーはなりたくはないなって思ったものです。

 

そんな風に思っていた僕もそういう年代になって来て実際どうなんだろうって感じ

ですがもう仙人なので何にも考えてないのです。

 

周りを意識する事がほとんどないのです。

良いようで悪いようでなのですが個人的には囚われるものがないので本当に気軽に

生きていけて良いように思っています。

だけどこれの行きつく先は浮浪者ですからね・・・

 

そう考えるとそうはならない様にしっかりするところとそうでないところをしっかりと

判断してやっていかないといけないんだろうって思うのです。

 

話はグッと戻っておばさん構文で俵万智さんがコメントしていました。

 

マルハラに対して「優しさに一つ気が付く×でなく◦で必ず終わる日本語」っていう

一句を紹介したようです。

 

さすがですね。